NHK大阪制作の朝ドラ、笠置シズ子さんをモデルとした、「ブギウギ」。
ほぼほぼ、実際にあった出来事に基づいてドラマが描かれている感じですね。
2023年12月で吉本興業の御曹司の吉本穎右(よしもと えいすけ)が登場しています!
その流れからいくと、2024年の3月までドラマを放送する余地がありますから、
美空ひばりさんのモデルは登場せざる得ないのです!
「ブギウギ」の脚本、ひとことで言えば、「朝ドラ版大河ドラマ」だと思います。
子役の美空ひばりさんと母の加藤喜美枝さんが登場するのは間違いないと確信していましたが、
やはり「例のトラブル」にNHKサイドが難を示して、 10代後半の大スターになった美空ひばりさんのモデルのみが登場する様です!
10代後半の「美空ひばりさん」のモデルしか出せない理由お伝えしたいと思います!
「ブギウギ」は約90%史実に基づいた脚本だから!
ブギの女王、笠置シズ子さんをモデルとした朝ドラですが、ストーリーの内容が笠置シズ子さんの伝記そのものに等しいんですよ。
赤子で養子に出されるとか、銭湯で育つ、服部良一との出会い、宝塚に落ちて松竹歌劇団に合格、スイングの女王になる、養母の病死、義理の弟の戦死、恋人の病死、娘を出産など。ここまでは既にドラマの放送が終わっている部分です。
史実に基づいて描かれている脚本だからこそ、「美空ひばりのモデル」は無視出来ない部分だと思われます。
朝ドラらしく「残酷過ぎる描写」にならないよう配慮してある。
例えば、笠置シズ子出産の場面でも、史実だと出産前にマネージャーの山内吉富(ドラマだと山下)がシズ子に吉本穎右の死を報告するのですが、
脚本の足立紳さんが「それはあまりにも残酷過ぎるから、出産後に愛助の死を報告に変えよう」とか、残酷過ぎない様に配慮が施してあるのです。
子役の美空ひばりさんと加藤喜美枝さんを出さない、いえ、出せないのは笠置シズ子(福来スズ子)を「悪」に描かない、NHK側と脚本の方々の配慮だと思います。
下記に笠置シズ子と美空ひばり親子の「確執」の詳細を書いています。
2024年3月ドラマ終了まで美空ひばりのモデルの登場の余地あり!
2024年1月から戦後が舞台になります。
服部良一さんが上海に渡り、李香蘭に曲を提供する話が盛り込まれていましたが、(「東京ブギウギ」が生まれるヒントがある為、李香蘭とのエピソードが盛り込まれている。)
それでも、美空ひばりさんのモデルの登場の余地は3月から充分にありますよね!
美空ひばりのモデルはこの女優さん!ドラマでの役名は「水城アユミ」
下記の女優さんが美空ひばりさんのモデルを演じられます。3月から登場します!
(Wikipediaより引用)
2024年1月2日NHKで放送の単発ドラマで山口百恵さん役を演じています。
歌唱力の高い女優さんでもあります。
ミュージカル「ピーターパン」で長年主演を務めていらっしゃいました。
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ひばりママの加藤喜美枝さんを登場させない理由は?
1949年~1950年の美空ひばり母子が登場できないというか、
させない理由は下記の確執事件を朝ドラから描きたくなかったのでしょう。
この頃、美空ひばりさんは小学校6年生~中学1年生。
母親の喜美枝さんは少女の美空ひばりさんに笠置シズ子さんのモノマネをするように指示をした人物でもあります。
喜美枝さんがひばりさんへ送った指示はことごとく大成功をおさめます。
美空ひばりさんが大スターになれたのは彼女のプロデュース能力無しでは語れません!
その笠置シズ子さんとの「確執事件」を避ける為、NHK側は美空ひばり母子との確執抜きで、1947年~1950年迄のブギウギブームを描いています。
いつから「水城アユミ」は登場する?ひばりママの代わりの人物は?
そこから「ブギブーム終焉」の1955年に話が跳んで、
翌年の1956年に美空ひばりのモデルでもある既にスターになった「水城アユミさん」が第25週(3/18~)に登場するようですよ!
ひばりママの娘ではなく、あの大和礼子さんの娘の設定になっている様ですが・・・。
大和礼子の夫が水城アユミさんのマネージャーになります。要は水城アユミの父親が登場するそうです。
水城アユミさんが福来スズ子(笠置シズ子)の歌を歌いたがるとか、国民的大スターの設定とか、まさに美空ひばりさんのモデルだと思われます。
水城アユミさんは、ある人物の要素も含まれている!
水城アユミさんの「生い立ち」や「人物設定」の部分は江利チエミさんの要素が少し含まれています。
例えば、江利チエミさんの母親が少女歌劇団出身で早世しているとか、笠置シズ子と母親は一緒に仕事をした事があるとか、父親が江利チエミさんのマネージャーをしていたとか。
下の名前もひらがなではなくカタカナ表記ですし。チエミ→アユミ
ドラマの中で福来スズ子さんが水城アユミさんと紅白歌合戦で共演するのですが、
史実だと笠置シズ子さんが大トリをつとめる1956年の紅白歌合戦も美空ひばりさんは出場していませんが、江利チエミさんは出場しています。
吉柳さんの見た目も「お祭りマンボ」より「テネシーワルツ」の方が似合う感じがしますし。
水城アユミさんは、このドラマの為に作りあげた戦後の大スターなのかもしれませんね。美空ひばりの部分は国民的スターの要素で、江利チエミの部分は上記の要素。
つまり、美空ひばりと江利チエミを足して2で割ったキャラクターなのでしょう。
笠置シズ子さんと美空ひばりさんの「確執事件」とは?
このことはかなりネットで話題になっていますよね? 確執の内容は下記になります。
(週刊ポストより引用)
1949年から両者の確執が始まる。
1949年の出来事ですが、灰田勝彦主演の「ラブ・パレード」で劇中にひばりさんが「ヘイヘイ・ブギ」を歌う事になっていましたが、事件が起きたのは幕が開く5分前の出来事でした。
笠置さんの関係者から「私の持ち歌である「ヘイヘイ・ブギ」を歌う事はまかりなりません」と言うクレームをいれてこられたそうです。
理由は「ヘイヘイ・ブギ」は昨年リリースして間もない曲だったからとのこと。
ひばりさんに意地悪をするつもりはなかった様ですが、急に歌いなれていない「東京ブギウギ」を差し出された美空ひばりさんの母・喜美枝さんは激怒されて、笠置シズ子さんとの間に確執が生まれた様です。
歌いなれていない「東京ブギウギ」の歌の出だしを本番で、ひばりさんが間違えてしまい、悔しくて楽屋で泣きじゃくったそうです。
ひばりさんの母の喜美枝さんが笠置シズ子さんに対して「憧れ」→「憎しみ」に変わった瞬間でした。
1950年の出来事が、両者の仲を更に悪化
1950年の出来事が、両者の仲を更に悪化させてしまう事になります。
ひばりさんサイドが映画「東京キッド」の撮影の為、笠置さんサイドより、1か月先にアメリカへ渡米してコンサートを行う事になります。
(ひばりさんサイドが5月、笠置さんと服部良一さんが6月に渡米)
笠置さんサイドは「服部良一・笠置シズ子アメリカ横断公演ツアー」を企画していました。
「先にひばりさんサイドに海外でブギを歌われると「興行価値」が低下してしまうのでどうにかして欲しい」という笠置さんサイドの要望で、
服部良一さんが「先にブギを歌った笠置さんを優先すべき」として日本著作権協議会を通じて、
笠置さんサイドは、ひばりさんサイドに対して「服部の全作品を歌っても演奏してもいけない」という
「(服部良一作詞作曲)ブギ禁止令」を出してしまうのです。
知らないアメリカの土地で、ひばりさんに先に服部良一の「ブギ」歌われると、ひばりさんの曲だと勘違いされるのが笠置さんサイドは嫌だったそうです。
しかし、そんな笠置さんサイドの命令を無視して「ブギ」をコンサートで歌ってしまいます。
それも、笠置さんの曲ではなく、ひばりさんのオリジナルの「ブギ」でした。
全曲、ひばりさんのオリジナル曲の「ブギ」なら良かったのですが、1曲だけ笠置さんのブギ、それも「ヘイヘイ・ブギ」を歌ってしまったのです。
それも笠置シズ子を知らないアメリカの土地で。
しかし、作曲家の服部良一さんは、しきたりを破ったひばりさんサイドを厳しく追及する事はなかったようですね。
「アメリカ横断公演ツアー」も美空ひばり母子抜きでドラマで描かれます。
まとめ
(週刊ポストより引用)
趣里さんが最後まで笠置シズ子さんのモデルを演じます。
史実だと1985年に70歳で病死されるのですが、どこまで描かれるのでしょうか。
1957年の歌手引退宣言迄は史実通りですが、最終週の26週は「オリジナルの脚本」で物語が終わる様です。
淡谷のり子さんがブギウギブームの頃、笠置シズ子さんに 「シャンソンはいつの時代でも歌われるけど、ブギはすぐに廃れるわよ」 とおっしゃっておられました。
ブギウギブームは淡谷のり子さんがおっしゃった様に
ブギウギブームの終焉は早かったですね。1948年~1951年頃まででした。
脚本家の方が笠置シズ子さんを何歳まで描くか、楽しみですね!
最後まで読んで頂きありがとうございました。
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